2010年11月17日水曜日

2010年ソマリア取材

 
無数の銃痕が刻まれた家
20年間内戦が続くモガディシュで、銃痕のない家は存在しない。フロントライン付近で放棄されていた家には、まったく生活の匂いが残っていなかった。(2010年11月撮影)

Twitterはたまに更新しているものの、このままだとまたブログを放置してしまいそうなので、この間の取材で撮影してきた写真をアップしていきます。

装甲兵員輸送車
AU(アフリカ連合)軍の敷地から外に出るときは、必ず防弾チョッキとヘルメット着用の上、この装甲へ委員輸送車で移動する。 (2010年11月撮影)

APCで移動する兵士
灼熱の太陽が照りつけるモガディシュでは、装甲兵員輸送車(Armored Personnel Carrier / APC)内はサウナと化す。 (2010年11月撮影)

銃撃の準備をするAU軍兵士
モガディシュに銃声が響かない日はない。私の取材中も、フロントラインで激しい銃撃戦が行われていた。 (2010年11月撮影)
過去にも銃撃戦に出くわしたことは何度かありましたが、ここまで激しい戦闘を取材するのは初めての経験でした。そのときの様子はビデオで撮影してあるので、近日アップします。


戦闘で死亡したアルシャバブの兵士
AU軍との銃撃戦で死亡したアルシャバブ兵士。痩せこけた体。ボロボロの服。そして、レンズの向こうから私を見つめるガラスのように澄んだ目――。多くのことを考えさせられました。 (2010年11月撮影)


アルシャバブの戦闘車両
この地域の重要拠点である背後のビルを防衛していたアルシャバブのテクニカル(戦闘車両)。 (2010年11月撮影)

2010年11月15日月曜日

いよいよソマリアへ

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ソマリア民兵
前回(2002年)訪問時のソマリア

紆余曲折がありすぎましたが、なんとか明日(15日)から水曜日(17日)まで、AU(アフリカ連合)軍として現地で活動中のウガンダ軍に従軍し、ソマリアの首都モガディシュに行けることになりました。

前回訪問したのは2002年1月。
当時のソマリアはたとえるなら日本の戦国時代。首都モガディシュの覇権を巡り、10近い軍閥の間で争いが行われていました。
その後暫定政府ができ、いくつかの軍閥間で和解もみられましたが、イスラム過激派が反暫定政府の武装勢力以来ソマリアの状況が大きく良くなることはなく今にいたります。

ソマリアの歴史・紛争の詳細はこちら(外務省HP)をご覧頂くとして、私の今回の取材目的は、今月初旬に国連でも報告された「武装組織による子ども兵士徴用問題」です。
ウガンダ北部の武装組織LRAに誘拐され、兵士にされた子ども達を長く取材させてもらってきましたが、どうやらソマリアも以前からの噂以上に、相当酷い状況にあるようです。

若干LRAのケースと違っているのは、誘拐ではなく本人の合意による徴用という名目になっていることなのですが、実際のところは避難民キャンプや市井で暮らす人々に強いプレッシャーをかけ、ほぼ強制的に子ども達を供給させているケースが多いというのが実態のようです。

本当は現在中央アフリカで依然、誘拐を始め残虐な活動を続けているLRAの取材にも行きたかったのですが、こちらは誰に聞いても「あ~、それは無理」との回答で、正規のラインでは行けなさそうなので、今回はソマリアに絞って取材をしてきたいと思います。

最も、実際に現場に行ってみないことには、何をどこまで取材できるか分からないのですが、3週間かけて得ることができたこの機会、しっかりと現地で何が起きているのか、見てきます。

2010年11月10日水曜日

ウガンダ大統領選挙




今年の取材で何度も行く手を阻まれているのは、ウガンダ大統領選挙キャンペーンです。
アフリカの選挙では血が流れるシーンばかりが日本には伝わりがちですが、日本の選挙とはひと味違い、なかなか面白いこともあります。

この動画は、最近必ず一日に一度は目にする、現大統領ムセベニ氏のオフィシャルラップビデオです。
現地の雰囲気もあるのでしょうが、ここ数日、耳から離れません…。

2010年11月8日月曜日

コロンベ

コロンベ
やっと14歳になっていたコロンベ(左から2番目)。

本日、娘のコロンベに会いに行きました。
前回会った時よりさらに少し背が高くなっていた彼女は、嬉しいことに今年からセカンダリースクールに通っているそうです。

そしてここ最近恒例になっている年齢について恐る恐る尋ねると、「14歳になった」とのこと。
長かった永遠の12歳がやっと終りました。(過去の記事参照

相変わらずシャイで、自分のことを話すときは呟くように小さな声なのですが、「得意な科目は英語とフランス語」というだけあって、英語は前回会ったときより遙かに上達していて、普通に会話ができるレベルになっていました。(次回は確実に私より上になってるんだろうな…)

ちなみに将来の夢は、お医者さんになりたいそうです。
ルワンダ内戦が生み出した戦災孤児の一人である彼女に初めて出会ったのは1997年。
おそらく彼女は2歳くらいだったと思います。
その後毎年写真を撮らせてもらってきたのですが、彼女はフランス語とルワンダ語しか話せなかったため常にだれか通訳が必要でした。(私もフランス語を勉強しようと本は買いました。本は…)

「いつか直接話しをしたい」というのが夢だったので、色々と話しができて本当に嬉しかったです。

そして、もう一つ嬉しいことがあります。
マルティン家
私が名前をつけさせてもらった赤ちゃんと、その両親
前回のルワンダ訪問中(昨年12月)、コロンベを育ててくれている家族のお嬢さんが男の子を出産し、その翌日にお祝いに病院に行ったところ、その子の名前を日本語でつけて欲しいと言われ、厚かましくも私が名付け親になりました。
(恥ずかしいので、どんな名前をつけたかは秘密です)

てっきり私はミドルネームだと思いこんでいたのですが、今日、その子にも会いに行ったところ、なんとファーストネームでした。
とても可愛い利発な子で、これからルワンダに来る楽しみがまた増えました。

明日、再びウガンダに戻り、再度ソマリア行きの調整に入ります。
なかなかうまく事が進まず、ちょっと落ち込んでいたのですが、このルワンダ訪問で色んなモヤモヤが吹っ飛びました。

また明日から気持ちを新たに、頑張ります!

2010年10月26日火曜日

一週間経ちましたが…

現大統領のムセベニ氏
ホテルを出たところに貼ってあった、現大統領ムセベニ氏のポスター
Twitterには書きましたが、今日は来年の選挙に向けてのノミネーーションデーだったらしく、コンタクトする予定の皆さん、大統領一緒に国内を走り回っているらしく、誰も携帯の電源が入っていませんでした。

日本を出発して、はや一週間。
焦る気持ちを必死で押さえています。

明日こそ、いい日になりますように!

2010年10月21日木曜日

今回こそは!

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川になった道路を走る車
突然の雨で川のようになった道路。そこかしこで車がスタックしていた。

今回の取材、第一回目のブログ更新です。

更新があまりにも久しぶり過ぎて、自分で作っておきながら写真のアップの仕方をすっかり忘れていました…。

それにしても、Twitterいいですね~。
私の携帯はいまいち近い勝手が良くないので、どうしても誤字脱字が多くなってしまうのが難点ですが、htmlのタグも自分で書かなきゃならないブログと違って(自分でそのような仕様にしてしまったのですが…)、とても楽に書くことができます。

あと、ブログの場合は書くことをある程度決めてから書かなきゃならないのに対し、その場の状況を伝えるのをメインにTwitterを使うと、いつでも時間があるときに書けるのが本当に便利です。

ということで、今回は取材状況を伝えるのは「Twitter」、ある程度まとまった話や写真を掲載するのは「ブログ」という形で進めていきたいと思います。

本日は無事にキーパーソンに会えたものの、ひっきりなしに来訪者があり、とてもゆっくり話せる状況ではなかったので(まあ、ほとんどアポ無しと同じでしたから)、わざわざ夕食に招待してくれました。

前回と同じにならないように、しっかりと今後のスケジュールを組み立てて行きたいと思います。

2010年10月18日月曜日

アフリカ取材に行ってきます

ほぼ9ヶ月ぶりのブログ更新です。 明日(正確にはもう今日)からアフリカに行ってきます。
いつものことながら色々ドタバタで、直前まで準備も終わらず、下手すると今夜も徹夜になるかもです。 今回は、前回の失敗を教訓に、ターゲットを絞ってしっかりと取材スケジュールを組み立てたいと思っていますが、いったいどうなることやら…。
あっ、あと、今回からTwitter始めました。 ブログを書くのは時間がかかるけど、Twitterなら、こまめに更新できるはず…。 もしよろしければフォローしてみてください。

2010年1月11日月曜日

帰国しました

木陰で休む子どもたち
ニコラスと一緒に暮らしている子どもたち。

予定通り先週金曜日(8日)、無事に帰国しました。
しかし、飛行機内の乾燥にノドと鼻をやられ風邪をひいてしまったようで、最後まで踏んだり蹴ったりでした。
幸い、土日は寝て過ごしたので、ずいぶん良くなりましたが…。
今回の取材自体は、正直、とても成功とは言い難い内容でしたが、「自分自身への戒め」と「今後どのように取材方法を変化させなければならないのか」を考える上では、非常に良い勉強になりました。
次回は夏頃を考えているので、それまでに高い授業料を払って得た経験をしっかりと自分のものにしたいと思います。

2010年1月6日水曜日

帰国の途へ

夜の首都カンパラ
夜の首都カンパラ。町の中心にあるタクシーパークは帰宅途中の人々で賑わっていた。

いよいよ本日、帰国の途に着きます。
「今回の取材は空振りに終わった」と色んな人に愚痴っていましたが、冷静になって考えてみると、ここ最近がちょっとうまくいっていただけで、予定通りの取材が出来たことは、ほとんどなかったと、過去を振り返って思い出しました。

詳細な反省は帰国してからするとして、今回の最大のミスは、「大きな取材には、どんなにコネがあってもそれなりの時間が必要になる」という点を軽んじたことだと思います。
前回のガランバ・フォレスト取材は、たまたま幸運が重なり、偶然にも短期間で実現しただけなのに、今回はルワンダ大統領のインタビューと、ソマリ ア・中央アフリカ、そしてカラモジョと、わずか一ヶ月の滞在(それもクリスマス・新年を挟む最悪なタイミング)で全てを実現しようとした結果あまりにも単 純であり、かつ初歩的なことを忘れていました…。

いい年をして恥ずかしい話ですが、今回の失敗を教訓に、次回以降に活かしていきたいと思います。
回線の都合等でアップ出来ていない「面白い話」や「ちょっといい話」もあるので、反省の意味も込めて、今回こそは帰国後に「まとめ編」をアップする予定です。

(付記) このまま何もなしで終わるのはさすがに悔しいので、ちょっとした企画(結構無謀な)をウガンダで進めています。
こちらも時間がないので若干厳しいのですが、うまくいったらブログで報告します。

2010年1月4日月曜日

謹賀新年!――なのに仕事納め…

コロンベとその家族
また一段と成長していたコロンベ(左から3番目)

あけまして、おめでとうございます。
私は新年をルワンダで迎え、翌2日、ウガンダに移動しました。

ルワンダで電源コードが破損し「帰国までPCを使用できないかも」と、心配していましたが、幸い、大半の店が閉まっている日曜日の首都カンパラを探し回り代替品を確保したので、ブログを再開します。
(4000円近くしましたが、電圧を調整でき、PCと接続する部分も各種アタッチメントで変更可能な優れものです。ただ、金属部分を触るとビリビリするのが難点です…)

ウガンダと日本の時差は6時間です。
今こちらは1月4日の深夜2時。
本来なら12月23日の記事で「最悪、すべての取材が駄目になった場合は―」と書いたように、昨日から准将と一緒にカラモジャ地方に滞在中のはずです。

「出発の予定が変わって4日出発になったから、明日(3日)もう一度電話して。詳細はそのときに伝えるよ」と、一昨日(2日)ルワンダを出発する前にかけた電話で確かにそう准将は仰ってました。

そして3日の朝に電話すると
「いまちょっと取り込んでいるから、お昼くらいに折り返すよ」
そう仰ってました。

そして昨日の夕刻、電話をすると(准将からの折り返しがないのは想定内)

「明日の朝8時にMolotoのベースキャンプに来て」

「わかりました、朝8時ですね!Molotoのベースキャンプってどの辺りにあるんですか?」

「誰かに聞けば、すぐにわかるよ」

「了解です。ちなみに中心部からMolotoまで車で何分くらいかかりますか?」

「中心部ってどこの?」

「もちろんカンパラです。ちゃんと2日にルワンダからウガンダに移動してますから」

「――」
イヤな沈黙でした。

「ごめん。そういえば、カンパラから連れて行ってあげるんだったよね。実は一度4日に変更になったんだけど、その後また変更があって、3日の早朝に移動済みなんだよ…。え~と、いつまでウガンダにいられるんだっけ?」

「7日のお昼には帰国しなければなりません…」
「じゃあ明日の朝5時に、バスに飛び乗ってくれば一日は取材できるよ!あっ、もし車があるなら今すぐ出れば、もう少し時間できるし」

念のため車はスティーブンに準備してもらっていました。
しかし、首都カンパラから准将のいうMolotoまでは約500キロ。道が悪いこともあり、スティーブンに確認すると10時間はかかるとのこと。

今までまともに取材出来ていないこともあり相当悩みましたが、今回は行かないことにしました。
往復20時間という強行軍はドライバーにも相当負担がかかりますし、一日の取材で見られる物は限られています。

そして何より、今回の取材は全てが後手後手にまわり非常に流れが悪いため、ここで焦って予定外の行動をすることは非常に良くない気がするためです。
というわけで、残された後数日、首都カンパラ近辺で色々と小ネタを探したいと思います。

本当に今回は全てが裏目です…。