2014年12月23日火曜日

「アフリカ珍道中。2014年悲しい物語」

雨で大渋滞のカンパラ

まだまだ「アフリカ珍道中。2014年悲しい物語」は続くようです。


本来なら今ころはカタール・ドーハから成田に向かう機上で、よだれをたらしながら爆睡しているはずでした。
が、残念ながらまだドーハにいます……。

昨日ウガンダからドーハに向かう便に乗り込む寸前、アフリカンエクスレスの責任者から連絡があり、「いまあなたのスーツケースはナイロビにあるので、今日の『ナイロビ発成田行き』のカタール航空で送る。成田に到着したらで係員に確認して受け取って」と連絡がありました。

「おー、これでなんとかハッピーエンド!まあ、終わりよければ全て良しか…」と安心し気持良く搭乗しました。

しかし、予定時刻になっても離陸しない…。
「あ~、機長です。現在機材の点検を行っているので、しばらくお待ち下さい。安全の確認が取れ次第離陸します。サンキュ!」
とうとう飛行機にまで影響を与えてしまいました。

結局2時間遅れでウガンダ・カンパラを飛び立ち、予定の2時間遅れでカタール・ドーハに到着した時には、乗り継ぐ予定だった成田行きの便はすでに搭乗ゲートが閉じられてました。

代替案として空港スタッフから提示されたのは以下の二択。
1.今日はドーハに宿泊し、明日同じ時間に出る成田行きで帰る
2.本日午前7時20分発の羽田行きに振り替える

明日24日から仕事なので、選択肢はもちろん2番しかありません。

ただ、ただ――。
羽田到着が22時45分。自宅までの終電は23時11分。
しかもロストバゲージのスーツケースは成田に……。
どう考えても、まだ色々ありそうな予感がします。残念ながら。

「家に帰るまでが遠足」。
このミッションクリアするために、乗り越えるべきハードルの高さ+多さに愕然とする、カタール・ドーハ午前4時です。

2014年12月20日土曜日

キガリ到着

首都キガリの町中はクリスマスモード
昨日無事にルワンダに到着しました。
町中心部のラウンドアバウト(円形交差点)ど真ん中で、乗ってたタクシーのエンジンが突然止まって大渋滞を引き起こしたり......。
唯一歩いて移動しなければならない時だけ突然の大雨に見舞われたり......。
コロンべ一家が教会の計らいでプチ旅行中だったり......。
と、細かい事は色々ありましたが、なんとかコロンべとも会え、ご挨拶したかった方々にも無事にお会いできました。
ただロストバゲージのせいで、日本から持ってきていた、コロンべへのクリスマスプレゼントやお土産をお渡し出来なかったのが残念です。
18歳になり、髪にエクステンションをつけたコロンべ。
今回腕に抱えている赤ちゃんは、コロンべ一家の従姉妹の子どもですが、コロンべ自身がお母さんになる日もいよいよ近づいて来ているようです。
(今のところ「まだボーイフレンドはいない」、と言ってくれましたが)
昔の面影を残しつつも、毎年確実に少女から大人の女性になりつつあるその姿を見ていると、時の流れを感じると同時に戦争がない世界の大切さを改めて実感しました。
初めて出会った16年前のコロンべ

エクステンションをつけたため、雰囲気がぐっと大人っぽくなってました。

孤児だったコロンべを育ててくれた家族

2014年12月18日木曜日

ツイてるんだか泥沼なんだか...

試練は続きます。

空港泊、深夜3時。

ルワンダに着いたらゆっくり休もうと考え、前日あまり寝ていなかったことも影響してか、確実に体力と集中力が落ちてきていることを感じました。

このままでは、後12時間以上は耐えられないと判断し、問題のルワンダビザに関して先方からの回答を待たず、午前5時前にかなり強引かつギリギリの裏技を使い確保しました。

そして一旦ケニアに入国し、「乗り継ぎ」ではなく「新規の旅行者」として午前7時50分発のケニア航空のチケットを買いルワンダに向かおうとしました。

そこで今度ネックになったのが、モガディシュで預けた「機体預け」の荷物。
本来は乗り継ぎだったため、今回の方法で入国すると空港内に保管されたままであるため、一度空港から出てしまうとピックアップできません。

そこで、また考えうる手を尽くして尽くして、新規で買ったチケットのチェックイン締切にギリギリ間に合う6時10分に、なんとかその集積所までたどり着きました。

「やっとこれでルワンダにいける......」とホッとしたのも束の間、探しても探しても見当たらない......。

私のスーツケースは、「いつか行きたいなー」と秘かに思っていたスーダンの首都ハルツームに、主人である私を差し置いて先に初上陸しているようです。

この「離間の計」を謀ったのは、アフリカエアライン。
バッグに着いているタグの読み間違いだそうです。

その後新規で買ったチケットをキャンセルし、アフリカエアラインのスタッフに最短で戻ってくるよう調整を依頼し、一応本日20時着の便で帰ってきてくれる事になりました。

結果的に、予定通り事が運んでいれば、ルワンダに到着して初めてロストバゲージに気づく事になっていたので、アフリカエアラインのスタッフと直接交渉できた現状の方がかえって良かったようです。

ツイてるんだか悪いんだか、寝不足で意識が飛びそうな今は分かりませんが、とりあえず最善を尽くします。
(とはいえ、この後まだルワンダ航空との交渉が待ってるんですが...)

今年は......

今年は本当に凄い!

本来はちょうど今頃(12月17日午後23時)ルワンダに着いている予定だったんですが、まだケニアのジョモ・ケニヤッタ国際空港にいます。

その理由は、ルワンダビザの不備......。

今年初めてオンラインから申請したのですが、「『Invitation Letter(ルワンダ入国後、私が責任持ちますよという感じの書面)』が添付されてないので再送してください」との回答が戻ってきてしまいました。

そのため、その作成をコロンべの家族に頼んだのですが、「署名した書面をPDF化してメールで送付する」という作業は、ルワンダの一般家庭で対応してもらうにはかなりハードルが高く、相当手間をかけてしまったうえ、私がモガディシュでの仕事を優先していたため予想より時間がかかってしまいました。

結果、やはり完全版のPDF送付は難しかったため、写真に撮って送ってもらったサイン部分をワードの書面に私が埋め込みPDF化する形で、先週金曜日に再申請しました。

そして「三日以内に手続きを進めます」という再申請受付完了メール内の文言と「不備があった際の返信が当日だった事」「ビザ発給を担当している『出入国監理局』のサイト上で見られる進捗状況も問題がない事」から、「間違いなく今日中には連絡がくる」と踏んでモガディシュを発ちました。

それが甘かった...。

午後14時過ぎケニアに到着。Wi-Fiに接続してメールを確認するも受信なし。
「危ない危ない。乗り換え時間が短いフライトにしてたらアウトだった。念のため最終便にしといて良かった!」
と胸を撫で下ろしつつ、その時点ではまだ余裕がありました。

最終便はケニア時間で21時50分発。
ルワンダの出入国監理局の終業時間は恐らく17~18時30分あたりとして、時差がケニア+1時間なので、終業間際、もしくは若干遅れて送付されて来るとしてもケニア時間の20時までには届くはず。

それが私の読みでした。

しかし、毎度の事ながら時間の経過と比例して増加していく不安感。
そして想定終業時間を越えても届かないメール......。

「ビザ発給の書面がないと、搭乗券は発券出来ません」。
手を替え品を替えトランジットデスクのお姉さんを口説いたんですが、回答は常に同じ。

やがて、私が乗るはずだった飛行機は飛び立って行きました。

計画的・用意周到に行動出来ない質である事は自覚し、痛い目に遭うたび反省もしているのですが、今回ほど全てが裏目に出るのは初めてで、まるで何かに諭されている、もしくは試されている気がしてきました。

以前空港泊したのは恐らく15年前。
睡魔と戦いながら、メールが届くのを待つことにします。

2014年12月17日水曜日

モガディシュ最後の夜

 モガディシュ最後の夜もすでに深夜。
結局最終日も、国連の許可は得られたものの、そのカウンターパートであるソマリア警察から取材許可が下りず、最低限行きたかった町中の取材に出られませんでした…。
正直なところ、今回、取材という意味では近年稀に見る散々な結果に終わってしまいました…。
でも、そのお陰で少し違う側面からソマリアの復興状況を見られた気がします。
いよいよ本日早朝、ケニアに移動し空港内で6時間待った後、15年にわたり取材させてもらっている戦災孤児のコロンベに会うためルワンダに向かいます。

2014年12月16日火曜日

取材ができない…

最終日もすでに正午過ぎ。コーディネーターの方に依頼している町中の撮影許可+車両確保が難航し、まだ本日取材に出られる目処が立っていません。また明日のフライトも空港までの足確保に四苦八苦しています。鉄条網の外に出るのは本当に難しい...。

さすがはソマリア軍

さすがはソマリア軍。一筋縄ではいきません。

昨日の時点でほぼ諦めていた「ブルンジ軍によるソマリア軍のトレーニング」の取材許可が下り、本日行ってきました。

また汗だくになってコンボイ揺られること1時間。
会場であるブルンジ軍ベースキャンプに到着するとすでにセレモニーの準備が整い、双方の軍のVIPが会見用の席に座り談笑してらっしゃる姿が目に入りました。

「今日こそは、やっとまともな取材ができそうだ!」と、思いました。(その時は…)

「VIPの方々に失礼がないようにしなきゃ」と思い、コンボイを降りたその足でご挨拶にも伺いました。(意気揚々と…)

そして、テクニカル(※)の側で「たむろしている」ソマリア軍側VIPのボディーガードにも「今日はよろしくお願いします」と笑顔でご挨拶。(どう贔屓目にみても「待機している」ではないかな…)
(※)ピックアップトラックの荷台に対戦車砲や対空砲を積んだ武装車両

これで参加者に礼を失する事はなくなったので、ベースキャンプの外にいる250人のソマリア軍がゲートから入ってくる姿を撮影するため「どこが一番絵になるか」を探し、肌がジリジリと焼けてくるのを感じながら、その入場を今か今かと待ち構えていました。

しかし、しばらくすると何か揉めてる雰囲気が…。
しかも一緒にトレーニングをする相手なのに、なぜかゲートを守るブルンジ軍は臨戦態勢…。
その銃口の先には背中に「CHELSEA(イギリスのサッカーチーム)」と書かれた青いトレーナーを始め思い思いの私服で、通勤カバンのように自動小銃や対戦車砲を手にぶら下げて「たむろしている」ソマリア軍。

「今日はトレーニング初日なんで、セレモニーと人権に対する考え方などの座学だけなんだ。だから我々はベースキャンプ内への武器持ち込みをやめて欲しいと伝えてるんだけど、彼らは『それは絶対に嫌だ、受け入れられない』って引かないんだよ」と、その理由を隣にいた大尉が教えてくれました。

「人様の家に入るのに、必要のない武器をわざわざ携えて入る必要はないってソマリア軍も思うだろう。しかも上層部は武器を持たずすでに会見の席についているし。まあ、納得するにはもう少しかかるかもしれないけど」。その時点ではそう楽観視してました…。

しかし30分ほど経った時、「わざわざ来てもらったのに悪いけど、今日の会見は延期になったって」と、先ほどの大尉に耳打ちされました。

「我々も、わざわざモガディシュから運んできたテントを朝から組み立てたり、人数分の食事の準備もしてたりしたんだけどね~」
そう続けた大尉の表情は「苦虫を噛み潰したような顔」という言葉そのもの。

しばらくしてソマリア軍側VIPの面々がテクニカル(※)車内に乗り込むと、ダラダラと荷台に上がったボディーガードたちと一緒に、颯爽とベースキャンプから立ち去っていきました。
走り去るテクニカルの後ろ姿は、2002年のモガディシュ初訪問時に、初めてを見たテクニカルとダブりました

本当に今年はこういうパターンばかりですが、残された明日一日、もう少しあがいてみます。

(追記)
昨日お伝えしたアル・シャバブによる国連施設への攻撃なのですが、恐らく使用された武器は迫撃砲、幸いすべて海に着弾したため被害はなかったそうです。



2014年12月15日月曜日

予定キャンセル…


予定が変更になり先ほどモガディシュに戻ってきました。
「ソマリア軍へのトレーニングだ」「いやいやソマリア警察だ」と聞く人によって対象すら二転三転していたのですが、結局ソマリア軍へのトレーニングでした。
そしてやっと現地についたと思いきや、「ソマリア軍から『ここまで来るガソリンがないから明日行けないかも…』と連絡があったので、一度ベースキャンプに戻り明朝の状況を見てどうするか決めることになった」と、同行してくれたウガンダ軍大尉から伝えられ、滞在わずか二時間ほどで往路同様コンボイに乗り(嵐の中の船でサウナに入っているような感じです)、ブルンジ軍ベースキャンプに戻ることになりました。
今夜はブルンジのベースキャンプに泊めていただき、明朝ソマリア軍さんがどうするかによって取材の可否か決まります。
(追記)
この投稿を書いている途中で夕食を頂いたのですが、実は諸々の雰囲気から察するになんとなく他にもダメな理由がありそうだったんで、それとなく探りを入れたら多分ビンゴ。明日はだめそうな感じです…。

2014年12月14日日曜日

モガディシュ郊外への取材へ

本日これからブルンジ軍のコンボイに同乗させてもらい、モガディシュ郊外の取材に向かいます。そのため火曜日夜(日本時間)まで何も更新できないかもしれません。警察のトレーニングだけではなく、なんとか町の様子等も取材してきたいと思います。

20日目の、「取材初日」

「取材」初日終了しました。
成果は――。予定していた内容の30%止まり……。
無念です。
本日訪問したのはモガディシュ港でした。
現在ソマリアの経済活動において大動脈となっている海路。
その最大の玄関口である同港で「荷揚げされているのは何か」、「どの程度の頻度で商船が来ているのか」、「働いている人々はどのような表情で何を語るのか」、それを一年前の取材時と比較するのが趣旨でした。


移動中に遭遇した超過積載車。
珍しくコンボイの準備もスムーズに進み、国連施設内から港まで、約20分の道程も全く問題なし。そして港内に続く入り口のゲートをくぐると伝わってくる明らかに去年以上の活気――
出発の手続き待ちで行列を作る、優に100台を超える大型トレーラー。
もちろん、すべてのトレーラーが車高の二倍以上の高さまで積み荷を積んだ超過積載。
作業員らしき人々を載せ、ひたすら警笛を鳴らしながら縦横無尽に走り回る大量のリキシャ(インドなどでメジャーな三輪車)。
――そのカオス感漂う雰囲気は、昨年とは比較にならないエネルギーに満ち溢れていました。
「これは、いい写真が撮れそうだ!ウガンダ軍に滞在は30分と伝えたけど、先に延長の申し入れしようかな」と私のテンションもかなり上がりました。(※セキュリティーの関係で、コンボイを依頼する際、事前にどこにどれくらい滞在するかを申告しなければならないため)
「写真的にはもう少し陽が傾いてくれた方が良い絵になるんだけどな…」と贅沢な事を考えながら、ブリーフィングを受けるため港内の高台に駐屯しているウガンダ軍のベースキャンプに立ち寄りました。
すると、「港内で撮影をするためには現在港の運用補助をしているトルコとソマリアの税関に許可を得る必要がある。しかも特に税関は外部の人間が立ち入る事にたいして非常に神経質になっているので、許可を得るにはかなり時間を要する上なかなか困難だと思う」とのお話。
一度、かなり上がった分だけテンションはただ下がりです。
ただそれを聞いて「そうですか、分かりました」といって帰るわけにも行かないので、なんとか取材する方法はないか相談したところ、「港内での取材は如何ともし難いが、ウガンダ軍駐屯地敷地内から撮影するぶんには問題ないだろう」と、一応撮影はできることになりました。
荷揚げ中の貨物船とかんしとう
昨年は貨物船が接舷しているすぐ側で比較的自由に取材できたのに、今回は300メートルほど離れた丘からの写真撮影のみ……。
しかも立ち入れない場所に魅力的な被写体が数えきれないほど存在しているのは分かっている……。
ただ、ただ無念でした。
でも今回一年ぶりにモガディシュを訪問してみて覚えた違和感。
その正体が自分の中で明確になってきたのだけが大きな収穫といえば収穫です。
携帯電話の相互通話・インターネット接続が不可になったのも、税関が部外者の立ち入りを嫌がるようになったのも、間違いなく昨年よりビジネスの規模が大きくなったためだと思います。
当然そこには大きな利権や様々な問題が生まれ、それを取り締まる組織が未成熟な社会では色々な歪が生み出される事に…。
というわけで、運良く月曜日の午前中にモガディシュから40キロほど離れた町で、ブルンジ軍がソマリア警察のトレーニングを行うとのことだったので、気持ちを切り替えて同行させてもらうことにしました。
残された時間も少ないので、実現の可能性にプライオリティーをおいて、取材を進めます。
※明日(日曜日)のお昼頃にブルンジ軍のベースキャンプに移動し、そこで一泊させてもらい、月曜日早朝に現地入りする予定です。

建設中の新空港ターミナルビル

2014年12月12日金曜日

93時間のロスタイムを経て

到着早々、数カ月ぶりの雨
 やっと……、やっと………、仕事を開始できます。

本日午11時にジャジーラホテルのオーナーに防弾車両で国連敷地内まで送ってもらい、そこで国連広報部スタッフと合流しました。ただその時点でも私の泊まる場所はまだ確定されておらず、すったもんだの末、午後3時頃ようやく部屋をあてがってもらいました。

モガディシュ到着から93時間。本当に長い道のりでした……。

ただ、安心するのはまだ早く、モガディシュの受け入れを最初に担当してくれていたウガンダ軍大尉の出張とやらは、同国の准将を含めたウガンダ軍の主要な方々のセクター1(※)のMarka訪問だったらしく、15日か16日までモガディシュには戻って来られてないとのこと。

 副担当の方には決定権がないため、例年と同様の形でウガンダ軍に協力を仰ぐことが難しくなってしまいました……。
返す返すも、許可申請で手間取ったことが悔やまれます。

幸い今回部屋を提供してもらっている「the Information Support Team (IST).」のメンバーの中に昨年お会いした方がおり、色々とサポートしてくれているため、なんとかなりそうな気配なので、できることを無理ない範囲で進めていきたいと思います。

※アフリカ連合に加入している複数国の軍からなる「アフリカ連合ソマリア・ミッション」は、ソマリア全土を56のセクターに分け、主に国ごとに各セクターを受け持っている。
http://amisom-au.org/sectors/ 
(このサイトではセクター4までしかないが、ケニアシエラレオネ軍が担当する南部のキスマイヨもセクターの一つ)
※訂正(12月12日)


(追記)
ソマリアはかなりマイナーな国なので、ご興味がある方は、よろしければご参考までに昨年の取材内容を掲載してもらった国際協力機構(JICA)の広報誌「mundi (2014年3月号)」と、本年6月に国際開発機構(FASID)でセミナーをさせて頂いた際に使用した資料をご覧ください。

【JICA広報誌 mundi 2014年3月号】
http://www.jica.go.jp/publication/mundi/1403/index.html

【国際開発機構 第206回BBL「ソマリアの現状と今後の展望~ジャーナリストの目を通してみるソマリアの昨日と今日~」発表資料】
http://www.fasid.or.jp/_files/activities/20140618_BBL206_WebDocument.pdf (PDF/ 4.8MB)

今回用意してもらった部屋。エアコンとベッド、後は机がひとつあります。ネットへの接続はwifi


WAIVER」。日本語でいうところの、いわゆる誓約書。「何かあっても個人の責任なので、アフリカ連合・国連に賠償等をもとめることはありません」というような事が書かれています。

2014年12月11日木曜日

またしても…

結局、昨日も国連軍の施設内には移動できず、まだホテルにいます。
以下、昨日の流れです。

【午前10時頃】
・「下村氏の申請は全て受諾されたので、すみやかに受け入れ準備に入るように」という指示が、国連の担当者(図では「広報部副責任者」)から副責任者秘書とウガンダ軍大尉(代行)にメールで出される。

・生憎、ウガンダ軍大尉(代行)は一昨日から地方に行ってしまっており確実にメールは見てないと推測されるため、すぐに副代行に電話で「申請が受諾されたので動いて欲しい」旨を伝える。
・念のため同時に一昨日自国のジブチから戻って来られた国連の広報部中佐(昨年一度お会いしている)にも連絡。
「今会議中なので別のスタッフに連絡させる」とのこと。
・昨日の記事をアップ。

【正午過ぎ】
・広報部中佐から連絡するように指示されたという国連・広報部スタッフから電話。
詳細を伝えると「万事了解。中佐に確認して迅速に準備する」との返答を得る。

【午後1時】
・動きなし。

【午後2時】
・動きなし。

【午後3時】
・ホテルのオーナー宛に、私がまだホテルにいるかどうか確認の電話が入り、ホテルのスタッフから問い合わせが入る。(最初怪しい、と思ったが間違いなく国連からの連絡であったことを確認)
・「今から準備をして迎えの車を送るので待っているよう」という国連のスタッフからの伝言を聞く

【午後4時】
・車の到着を待つ

【午後5時】
・ちょっと不安になりながら車の到着を待つ

【午後6時】
・かなり不安になりながら車の到着を待つ

【午後7時】
・本日は移動できないことが確定。

【午後8時】
することがないので、今回の流れの図を作成。

という残念な流れでした…。

国連軍の施設から私が宿泊しているホテルまでは約1キロ。歩いても10分かからないでしょう。
ただこのモガディシュでは、その1キロに何があるか分かりません。
テロ行為を行っているアル・シャバブにとって特に国連軍は目の敵であるため、今月3日の自爆テロ→http://www.afpbb.com/articles/-/3033350も、その道中で発生しています。
そのため「車の手配」といっても単純に車を一台用意するのではなく、戦闘用の装甲兵員輸送車を数台手配しなければならないため、ある程度時間がかかることは予想し大人しく待ち続けていました。

昨日のすれ違いにおける重大な問題は携帯電話でした。
到着初日に「携帯電話からネット接続ができなくなっている」と報告しましたが、なんと、キャリアが異なるとショートメールのやりとりはおろか、通話さえも出来ないのです。
恐らく多くの人が携帯電話を手にするようになり動く金額が莫大になってきたため、その利権をめぐり様々な思惑が蠢いているのでしょうが、「相互の通話不可」は想像すらしていませんでした。

そのため、ホテルのオーナーの電話を借りて連絡をしたり、スマホのアプリ(Skype)を使ったりして連絡するしかないケースが多々あり、都度、「この番号にかけても私は出られないので、こちらに!」と私の携帯番号を伝えてはいたのですが、もちろん、そうは問屋がおろしません。
結果、すれ違いにつぐすれ違いで、残念な結果になってしまった次第です。

ただなんとか今朝方収拾がつき、あと1時間後にホテルのオーナと一緒に国連の施設に行くことになりましたので、次こそは珍道中記ではなく、仕事の話をご報告したいと思います。

2014年12月10日水曜日

急いては事を仕損じる



私の勘違いで、7日朝のモガディシュ到着から本日まで国連軍の施設内に入ることができず、空港近くにあるジャジーラホテルに宿泊していたため、万が一の事を考えて(最近は色々な勢力もネットをフル活用しているので)、ツイートを控えていました。

私が犯したミスは、ウガンダを出国する際「国連から正式に許可をもらった」と思い込んだことでした。
原因は私の確認不足。
やはり焦るとろくな事がありません……。

6日夜。モガディシュ行きの飛行機に乗るため空港に移動中だった私は、国連からの受け入れ許可に関して車内で担当の方とやりとりしていました。そして最後に担当の方届いたメールの文面と添付書類(許可証)を見て、「宛先はサインをする責任者。文面から察するに双方の間で話がついてそう。ということは『予定通り明日来て良い』という事を知らせるため私にもCCが入っているんだ」と思い込み、「ふぅ、ミッションクリア」と胸をなでおろして機上の人となりました。
しかしそれが大きな間違いで、実際は私に進捗を知らせるため担当の方がBCCで送ってくれたメールで「後はサインさえもらえればOKまで来ているよ」という意味だったのです。

それが大きな間違いでした……。
「さあ、やっと仕事ができる!お迎えはどこ?」と、ウキウキした気分でモガディシュに到着し、降り注ぐ真っ白な太陽に目を細めながらタラップの上からそれらしい人を探しました。
が、いつもはウガンダ軍の担当者が迎えにきてくれているのに、今回は軍服の人が誰もいません。
「多分、到着が1時間半も遅れたから一度事務所に戻ってしまったんだろう」と推測し、仕方ないのでターミナルビルの外でしばらく待つことにしました。(従軍時は通常と入国方法が異なり一般の入国審査は通らないので)

しかし日陰にいるとはいえ、とにかく暑い。
体中から吹き出してきた汗に、海から吹き寄せる潮風がミックスされ全身がベタベタして気持ち悪い。
私は20分ほどで耐え切れなくなり、ウガンダ軍大尉に電話をしました。
すると、「あ~、着いちゃったんですね…。え~っと、うちは動けないんで国連の担当者に電話してもらっていいですか」とつれない返事。でも確かに今回はウガンダ軍ではなく国連からの許可を得た形になっているため、国連の担当者に連絡するのが筋です。

まあ昨日の今日だから、迎えまではまだ手が回わらなかったのかも。ただでさえ無理をきいてもらっているんだから贅沢をいってる場合じゃない。と、自戒しつつ国連の担当者に電話し、名を名乗り、昨日残業してまで協力してくれたことに感謝の言葉を述べつつ、無事に到着した事を報告しました。すると国連担当者から帰ってきたのは一言。「本当に来てしまったんだね。どうするのこれから?」という言葉。

「電話だし、音質悪いし、低く沈んだ声なので何いってるかわらないや。この状況下だと聞き返しても聞き取れないし」と考えた私は微妙な相槌をうちつつ「ところで、具体的にあと何分後に迎えに来てくれるの?」と問いかけました。

「……………。」長い沈黙の後、「で、これからどうするの?」
変わらず低い声でしたが、今度ははっきりと聞き取れてしまいました。

私はまったく事態が理解できず、しどろもどろになりながら質問し、そこでやっと「まだ許可は下りていない」という状況が飲み込めました。
とるなると、もうモガディシュに来てしまっている以上、町のホテルで待つしか選択肢がありません。

「あっ、やばい!!」そこでまた私は大きな問題に気づきました。
完全に国連の施設内に入るつもりだった私は、ソマリアの入国ビザを持っていません。
国連の許可を得ていない立場で入国する以上、通常の入国審査を受る必要があるのです。
「こうなれば強行突破して何が何でもビザをもらう。でも相手はソマリア人。大丈夫なのか……」と、悲壮な覚悟で15人ほどが待つ入国審査の列に並びつつ、同時に最悪空港内で野宿することも覚悟しました。

列が徐々に減っていき、やっと審査カウンターが見える位置まできたので、私が戦う相手はどんな顔をしているのか見るため首を伸ばすと――
「あれっ!? あれは……。間違いないブラックだ!!!」

初めてソマリアに来た2002年。宿泊したモガディシュのホテルで私が契約したボディーガードパックの通訳だったブラック。

滞在最終日前日に搭乗券を取りに行ってもらった際、「あっ、あしたの朝、ぜっ、絶対に持ってくるから」と、大きく目を泳がせながらお釣りの20ドルをちょろまかしたブラック。

3年前、ウガンダに帰国するための軍用機が急遽飛ばなくなり、民間機に乗るためのビザ切り替えで揉めていた時「なんだ、なんだ~!なんの揉め事だ」と祭り好きの親父のように楽しそうに現れ、10年ぶりに再会したブラック。

思わず私は大きく手を振っていました。

結局、また今回もブラックに助けられ、無事にビザももらえた上、滞在するホテルの予約と迎えの車の手配までしてもらいました。

宿泊していたホテルは、空港側にあるジャジーラホテル。なんどかテロの標的にもなっているのですが、その経験をいかして完全に要塞化されており、外国人とVIP御用達のモガディシュで一番安全なホテルです。しかし、なんと一泊200ドル(!!!) おまけに、夕食は20ドル…。

到着早々残金を数えながら泣きそうでした。でもこれも自業自得。今後の糧にしてやっと始まる取材に全力を注ぎたいと思います。

2014年2月9日日曜日

ブログの引っ越し

海水浴を楽しむ少女たち(ソマリア/2013年)
ブログの入力システムを、かなり手間がかかる形で構築してしまい、更新するのが面倒でついつい放置してしまっていました。

「全然更新されてないね」という声をここ最近続けざまに頂いたので、自分のモチベーションを少しでもあげるため、こちらのブログに引っ越しすることにしました。
まずは1ヶ月に一度くらいの更新を目指して、ぼちぼち頑張っていきます。

2014年1月5日日曜日

嫌な一年の始まり


写真: 嫌な一年の始まりになってしまいました。
1月2日、ソマリアの首都モガディシュで車爆弾テロがあった模様。→http://allafrica.com/stories/201401030044.html

現場となってしまったジャジーラパレスホテル。
ソマリアを去る前日、お世話になった大尉にお礼として夕食をご馳走するため、私も訪問しました。

「このホテルは外国人や要人がよく利用するし、目の前の通りは空港に続く重要な道だから、何度もテロがあった」と、屋上から夜景の撮影している時、大尉が説明してくれたてましたが、まさかまた…。

しかも今回は被害を拡大させる爆弾テロのセオリーの一つ、最初の爆発でまず犠牲者を出し、その救助に駆けつけた人をさらにターゲットにする二段構えのテロだった模様。

真の平和へ、まだまだ道のりが険しいと思い知らされました…。
犠牲になった方々のご冥福を心からお祈りします。

(写真)
ジャジーラパレスホテル入り口。
中央部の高見櫓のような物がある場所がセキュリティーチェックポイント。
ここでテロが起きてしまった…。
ジャジーラパレスホテル入り口。
中央部の高見櫓のような物がある場所がセキュリティーチェックポイント。
ここでテロが起きてしまった…。

嫌な一年の始まりになってしまいました。
1月2日、ソマリアの首都モガディシュで車爆弾テロがあった模様。→http://allafrica.com/stories/201401030044.html

現場となってしまったジャジーラパレスホテル。
ソマリアを去る前日、お世話になった大尉にお礼として夕食をご馳走するため、私も訪問しました。

「このホテルは外国人や要人がよく利用するし、目の前の通りは空港に続く重要な道だから、何度もテロがあった」と、屋上から夜景の撮影している時、大尉が説明してくれたてましたが、まさかまた…。

しかも今回は被害を拡大させる爆弾テロのセオリーの一つ、最初の爆発でまず犠牲者を出し、その救助に駆けつけた人をさらにターゲットにする二段構えのテロだった模様。

真の平和へ、まだまだ道のりが険しいと思い知らされました…。
犠牲になった方々のご冥福を心からお祈りします。