2013年12月23日月曜日

帰国


写真: 昨夜、無事に帰国しました。

ソマリア取材開始から帰国までの日程が若干強行軍だったため、今は時差ボケがあるのか疲れているのかよく分かりませんが、幸い体調を崩すことなく取材を終えることができました。

暖かい励ましのお言葉や投稿へのコメント、とても有難かったです。
本当にありがとうございました!
これから取材内容の整理を進めつつ、何らかの形で発表できるよう頑張ります。

以上、取り急ぎ無事帰国のご報告まで。
オガデン戦争戦没戦死記念碑

昨夜、無事に帰国しました。

ソマリア取材開始から帰国までの日程が若干強行軍だったため、今は時差ボケがあるのか疲れているのかよく分かりませんが、幸い体調を崩すことなく取材を終えることができました。

暖かい励ましのお言葉や投稿へのコメント、とても有難かったです。
本当にありがとうございました!
これから取材内容の整理を進めつつ、何らかの形で発表できるよう頑張ります。

以上、取り急ぎ無事帰国のご報告まで。

2013年12月21日土曜日

帰国の途へ

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エンテベ空港に近いカフェから望むビクトリア湖
今エンテベ空港近くのカフェです。13年来の友人スティーブン夫婦と今から少しお茶して、いよいよ帰国の途に着きます。今回の成果は予定の70%とまずまず。帰国後は年明けから営業頑張ります。それにしても南スーダン...。心配です...。

ルワンダからウガンダへ

17歳になったコロンベ

今からルワンダを発ちウガンダに移動します。昨日は娘のコロンベ(14年前から撮影させてもらっている戦災孤児)と1年ぶりに会いました。17歳になった彼女はついに私より背が高くなり(写真左)現在はコンピュータサイエンスを学んでいるそうです。


ゲームに興じる視線は真剣そのもの

また、コロンベを育ててくれている家族の家に怪しいゲーム機があり小さい子供達と懐かしのスーパーマリオに熱中していたので、昔取った杵柄、いくつか裏ワザを教えたところかなり皆エキサイトしてくれました。

2013年12月19日木曜日

ルワンダ到着



ルワンダの首都キガリ中心部
昨日予定通りルワンダに到着しました。発展ぶりを始め町の綺麗さと緑の多さ、そして人々の落ち着いた雰囲気に「やっぱりルワンダは別格だなー」と改めて1人感心してしまいました。


このトロトロ感がたまらない!
そして、大好物のスープ・ド・ポワソン。18年前に初めてルワンダに来て以来、数年前までずっと定宿にしてたIsimbiホテルにて。懐かしい味です...。wifi化が遅かったので最近違うホテルに泊まってましたが、来年はまたここに戻ろうと思います。

2013年12月18日水曜日

ソマリア取材最終日



Martini病院入り口
取材最終日、残念ながらMartini病院院長Aishyaさんと連絡がつかず、軍広報官にお願いしてなんとか病院の敷地内までは行けたものの院内の取材はできずに終わってしまいました。
モガディシュの町中

その後、町中の撮影を少しさせてもらったのですが、セキュリティの関係で車内からしか撮影できず、若干消化不良な最終日になってしまいました。
なぜなら、AMISONの担当者から「依然外国人は襲撃・誘拐のターゲットである事は変わらず、『何もない可能性が高いけど、何があってもおかしくない』と説明を受け納得していたもの、現在のモガディシュは数年前の「いつ銃撃されてもおかしくない」という雰囲気ではないため、「ある程度リスクを冒せば撮れるかも」という誘惑に一瞬駆られてしまったからです。

空港近くの空き地でサッカーに興じる子どもたち
未だ多数の国内避難民を抱え、教育・医療・インフラ等の整備も前途多難。さらに「モガディシュと地方」「海外からの帰国組と国内在住者」との格差拡大は今後の大きな課題になると思います。ただソマリアが「前に進もうとしている」という事は今回の取材において肌で感じました。



2013年12月17日火曜日

教育・保健分野の取材


  • Wayel小学校の女子クラス

  • 本日はWayel小学校の取材とMartini病院の院長にインタビューをさせて頂きました。小学校には5~18歳の622人(女子は195人)が二つのグループに分けられ、それぞれ午前午後に通っているとの事。

  • 真剣な目で授業を受ける子ども達

  • 同校では英語・ソマリ語・アラビア語・歴史・科学・社会・数学の7教科を教えているそうです。その他、校長先生にソマリアの教育事情全般についてお話を伺わせて頂いたのですが一番驚いたのは大学が34校(国立大学は2校)も出来ている事でした。

  • 院長兼医師のAishaさん

  • Martini病院は1928年に当時モガディシュを植民地化していたイタリアにより開業。しかし内戦で完全に破壊され、その後は国内避難民の居住地となっていました。逃れていたイタリアで医師となったAishaさん(46歳ソマリア人女性)は祖国の医療事情を憂い2010年に帰国。
「病院は数多く出来ているものの国連の病院を除き全て有料であるため、依然として医療事情は改善していない。だから無料で治療できるようMartini病院を再建するわ」と、自らが院長兼唯一の医師として11人のスタッフと奔走されており、病院の取材を申し込んだところ快諾してくださいました。

式典後の記念撮影

生憎本日はソマリア平和維持部隊の新司令官就任式典があり、基地の外へ出られなかったためMartini病院へは行けませんでした...。実質明日が取材できる最後の日になるので、スケジュール調整がうまく行き病院を訪問できる事を祈ってます。

2013年12月16日月曜日

Jowhar報告


完全に水没している幹線道路
2時間ほど前、無事に首都モガディシュに戻ってきました。Jowharへの行程はとにかく道が悪い...。
ずっとジェットコースターに乗ってる感じでした。さらに写真のように洪水で道が川になっている場所もあり結局片道6時間近くかかりました。

給水に並ぶ避難民たち

一昨日の14日はJowharに到着後すぐに国内避難民キャンプの撮影に入りました。氏族間(民族的には同じソマリ人)の争いと洪水で逃げてきた人々が13000人暮らしているとの事でした。

パトロール中のウガンダ軍
昨日15日は朝6時からJowhar近郊に展開中のウガンダ軍のパトロールに同行。往復15キロ、約3時間の行程でしたが、昨夜もJowhar市の北西部にアルシャバーブが攻撃をしかけ、曳光弾が飛び交うさまを目撃したためその重要さを肌で感じました。

洪水で湖と化した畑。
パトロール中に、道中水没していた首都モガディシュに続く重要な幹線道路がエチオピアを水源とするシェベリ川の氾濫で完全に水没している姿を目の当たりにしました。ソマリア政府のコントロールが及ばない地域なので、多くのトラブルが未だ放置されています。 

2013年12月14日土曜日

夜景撮影



国会議事堂から望む夜景
モガディシュ市内の夜景撮影から戻ってきました。過去3回の訪問時はリスクが大きすぎて夜の町に出る事は出来なかったので、今回ぐ初夜景です。街灯を始めかなり灯りが見えますが、まだ発電所はないので全て自家発電かソーラーパネルだそうです。

Jowharへ

  • 今から首都モガディシュから100キロほどのJowharという町にあるIDPs(国内避難民)キャンプを取材しに行きます。道が悪いため本日はJowharで一泊し明日モガディシュに戻る予定。おそらく向こうではインターネットに繋げられないと思うので無事に戻り次第ご報告します。

モガディシュの海水浴場

モガディシュで一番人気のRidoビーチ

いま海水浴場の撮影から戻ってきました。イスラムでは本日金曜日がお休みということもあり、かなりの大賑わいでした。



海水浴を楽しむ人々からは笑顔が溢れていた
人々の表情も、今まで見たことがない屈託の無い笑顔で溢れていて、「ここは良いビーチだろー。日本からも観光に来て欲しいんだ!」と何人にも言われました。この後は食事をして、町の夜景撮影に向かいます。

2013年12月13日金曜日

海上パトロール取材中止



海側から見た首都モガディシュ
なんと、ボートを海まで運ぶトラックが今朝故障し海上パトロールの取材は月曜日に延期になりました。「係留所が欲しいんだけど予算がなくて...」とインタビューで嘆いていた中尉の気持ちが分かります。

モガディシュでの取材生活

真水のタンク

おはようございます。モガディシュは今日も快晴。日中の猛暑と風に巻き上げられる砂で、着てるものはすぐに汗と砂で汚れてしまうので、朝の洗濯は欠かせません。

今回準備してくださった部屋。ベッドだけの簡素なパターンですが、掃除も行き届き、エアコンも完備されてて快適です。

「取材中、どういう生活をしているの?」というご質問を何件か頂いたので、空いてる時間にお伝えさせて頂きます。
食堂
食事はシニアオフィサー用の食堂を使わせてもらっています。朝、昼、夜と1日3食。クーラーも効いていて快適です。 


昨夜の夕食
ちなみにこちらが昨夜の夕食。お米と揚げた魚に豆とスープ、そしてリンゴでした。この他にも鶏肉やヨーグルトなどもあります。

2013年12月12日木曜日

モガディシュ港とウルバホテル

モガディシュ港
先ほど無事にベースに戻って来ました。本日は「モガディシュ港」と「魚市場」、前回も行ったその最高の立地から内戦前は国内一の座にあった「ウルバホテル」を撮影してきました。
荷揚げされる日本車

モガディシュ港、多い時には10隻入港しているとの事でしたが、生憎今日は2隻だけでした。それでも十分活気があり、車の荷揚げが行われていたり――


「釣った」というより「捕まえた」大物
その横では少年たちが「釣り用の針でひっかけ→海に飛び込み素手で捕まえる」という豪快な漁をしていました。 


魚市場で働く人々

魚市場の方々です。2002年に訪問した際、地元産ロブスター(当時1kg=1$という話だった)をその時宿泊していたホテルで出してくれたので、「ソマリアで刺身?!」とちょっとした野望を抱いてたんですが今日は残念ながら見あたりませんでした

ウルバホテルのスイートルーム跡地からの眺め 

明日は、午前中→マリンガードのパトロールに同行。午後→病院+海水浴場。の予定です。船に乗るのは久しぶりな上に、パトロールは小型ボートなので、酔い止め飲むの忘れないようにしなきゃ。

2013年12月11日水曜日

モガディシュ到着

電話会社のオフィスからみた空港 

無事にソマリアの首都モガディシュに到着し先ほど電話・インターネット回線確保しました。かなり復興が進んでいてビックリです。町中では交通渋滞も発生しているとか。


宿舎への移動中
その後、広報担当の大尉と打ち合わせを行い、取りあえず明後日までのプログラムの大枠が決まりました。
明日は朝一で司令官からブリーフィングを受け、その後「漁港・パスタ工場・病院・町中」を取材。明後日は「海上保安・海水浴場」の予定です。

出発

宿泊したホテル

こちらは現在、朝5:00。なんとか無事に起床しタクシーも今到着。後は問題なく飛行機が飛んでくれることを祈るのみです。

2013年12月10日火曜日

ソマリア取材へ

  • 先ほど空港近くの町エンテベのホテルに移動しました。明朝のフライトは7:30。遅くとも6時にはチェックインしなければならず、早朝の移動では過去に何度もドライバーの寝坊に泣かされてきたので、少しでもリスクを減らしたいと思いまして。もっとも自分が寝坊したら元も子もないので気をつけねば。

2013年12月9日月曜日

取材日程確定


モガディシュ行きのチケット

ソマリア取材、なんとか日程組めました。なんと驚いた事に、ウガンダからソマリアの首都モガディシュまでウガンダ航空が直行便を飛ばしていたため、明日11日の午前に現地入りできそうです(フライトは約2時間半)。

  • その後1週間現地で取材を行い、18日にルワンダに移動。娘のコロンベ(14年前から撮影させてもらっているルワンダ内戦の戦災孤児)に会った後、20日にウガンダへ。そして翌21日に帰国の途に着きます。かなりハードな日程になってしまいましたが、いよいよここからが本番、頑張ります!

2013年12月5日木曜日

コメント掲載

先日、私のコメントが掲載されるとお知らせさせて頂いた週刊文春は、本日12月5日発売です。
記事タイトルは「中国は世界の嫌われ者!」。

ちょっと過激なタイトルですが、今回文春さんからお話を頂き改めて色々とインタビューしてみた結果、中流階級以下の人々からは実際にかなり辛辣な回答が戻ってきました。

以前は取材中にその精力的な動きを頻繁に目にし「国家のエネルギーと行動力が違う」と感嘆していたのですが、ここ数年に関しては明らかに「やり方が強引」かつ「急いでいる」と見えてなりません。

ここウガンダでも現在大規模なインフラ整備を始め石油の採掘権を得るなど、確実にその影響力は拡大し続けています。
ただ同時に、某りんご社を始めnokiaなどの人気スマホを始め日本製PCの中国産コピー商品が大量に流入し社会問題化しています。

実際ここ最近「ここで売ってる日本製は偽物ばかりだから、多少高くても良いから日本で買ってきてくれ」と話を持ちかけられることが増えました。

この記事→ http://chimpreports.com/index.php/mobile/business/14472-uia-fake-goods-both-local-and-chinese-factor.html が、国と一般市民の温度差を顕著に表しているのではないかと。(かなり強引に要約すると「偽物の氾濫は政府も問題だと認識している。でもその全てが中国から来ているわけではないので、中国だけを悪者にするのはやめましょう」という感じです)

このウガンダにとって、これから始まる石油産業は国の浮沈を左右する最重要事項。
中国のアフリカにおける活動、今後も目が離せません。