2012年8月16日木曜日

紛争地を取材するということ

山本美香さんがシリアで亡くなられた事件、非常にショックで、ここ数日自問自答を続けていました。
遠い昔に一度簡単にご挨拶させて頂いた事しかなかったのですが、各種メディアを通して常に紛争の最前線で取材をされている姿を拝見しており、ジャー ナリストとしての姿勢を尊敬するとともに、私には、怖くてとても踏み込めない現場に足を運ぶ行動力と勇気に畏敬の念を抱いていました。
シリアには行ったことがない上に詳しく情勢を分析していたわけでもないので、ネットに溢れているシリア関連の動画と、海外メディアが伝えている ニュースから想像するしかないのですが、様々な不確定要素が複雑に絡み合う、全ての判断が非常に難しい現場だったのではないかと思います。
山本さんの映像にもあったように、市中にはまだ一般市民が残って生活しているうえに、見た目で政府軍と反体制軍の区別がつきにくい。さらには空爆もあり、恐らくスナイパーもいたことでしょう……。
どこが比較的安全で、どこが非常に危険なのか――。

その境界があまりにも曖昧で不確定、さらに刻々とその状況すらも変化する現場。
山本さんが最期に撮影された映像を拝見し、「もし自分がこの場にいたら?」と想像すると、経験豊富な山本さんですら読み切れなかった危険な兆候を、サラリーマンを兼業し年に一度しか取材に行かない私が感じ取れるはずもなく……。
恐怖で手に嫌な汗が噴き出し、自身の死とその死が周囲の方々に及ぼす影響について沈思しました。
紛争地を取材するフリージャーナリストという職業は派手なイメージが強いかもしれません。
しかし実のところ金銭面でも精神面でもなかなか厳しく、単純に職業として考えた場合、あまり割に合わない仕事です。
「ではなぜ、好き好んで危険な現場に足を運ぶ必要があるのか?」。

他の紛争地を取材するフリージャーナリストに確認したわけではなく個人的な考えですが、それは誰もが心に持つ「幸福という名のパズル」を完成させるために必要なピースが、偶然そこにあるからではないかと思います。
「幸福」というのは非常に難しい物で、人それぞれ基準が異なる上に時間の経過と共に変化し続けるため、紀元前から世界各国の偉人賢人たちがその解明に取り組んできたにも関わらず、未だ「こうすれば一生幸福でいられる」という明確な手法はありません。
家族・恋人・友人・社会的地位・自己顕示欲・お金・健康・安定・刺激・使命感などなど、人は各々「幸福という名のパズル」を完成させるためのピースを無数に持ち、さらに個々のピースは「人によって」さらには「その時々」で、その「大きさ」や「形」が変化します。
その「幸福という名のパズル」を完成させるために必要な「最大のピース」が、偶然、紛争地と呼ばれる場所にあり、たまたま「伝える」という形だった人が、紛争地に赴くフリージャーナリストとなるのではないかと私は思っています。
昨今の紛争は様々な要素が複雑に絡み合いその要因は複雑化していますが、いまこの瞬間もシリアを始め銃弾が飛び交う最前線では、戦う人々双方に信じる正義があり守る物があり、その思いが悲しみと憎しみを生み出し続けています。
今回自問自答を続ける中で、「紛争地取材を止める」という選択肢も考えました。
しかし考えれば考えるほど、私にとっての「最大のピース」が――「人の手により生み出され、人の手により解決可能な『理不尽』の根絶」――である限り、そ して今まで取材を受けてくれた方々を裏切らないためにも、やはり紛争地取材は避けて通れないと再認識するに至りました。
どんなに注意しても準備しても、100%の安全を確保することは不可能です。でも可能な限り100%に近づける努力をし、今まで以上に「無事に帰国する」という強い意志を持って、自分のペースで取材を続けていこうと改めて決意しました。
「なぜ紛争地取材を続けてるんですか?」、「数多くの紛争地を見て、人間とは何だと思いましたか?」、etc。
業界の末席に名を連ねさせてもらっている身として、山本さんに色々お聞きしたかったです……。
山本さんの夭逝に心から哀悼の意を表します。