2011年12月10日土曜日

人間の命の重さ

アフリカで取材をしてきて「過去に何度も何度も直面してきた壁」で、自分なりの答えがあったはずなのに、また迷いの袋小路に入ってしまいました。

実は先週の火曜日(11月30日)夜、滞在中の専属ドライバーとしてウガンダで旅行会社を経営する11年来の友人スティーブンが付けてくれていた男性が、私と別れ自宅に戻る道中、自動車強盗に襲われ右後頭部頭蓋骨陥没骨折の重傷を負いました。

彼には以前も何度かドライバーとして仕事をしてもらったことはあったのですが、身長165センチくらいで痩せ形、ウガンダ人としては小柄な部類に入る彼の印象は、無口なことも相まって正直あまり残っていませんでした。

しかし、今回会った時「つい先週、二人目の子どもが生まれたばかりなんですよ」と嬉しそうに語る彼の表情からは無垢な幸せがあふれ出ていて、「この人は信頼できるかも」と好印象を抱きました。 事実、事故に遭うまで約10日間毎日一緒に行動していたのですが、その仕事ぶりは非常にまじめで待ち合わせ時間にも正確。日当以上のお金を要求することもなければ一度もお釣りを誤魔化した事もない。そして肝心の運転技術も悪くない。とても信頼の置けるドライバーでした。

事件があった日、私はいつジェネラルから連絡がきても良いようにホテルで待機していたのですが、ホテルの立地がゴミゴミした場所にあるため、生憎ホテルおよび周辺にも駐車場がなく、彼には車を止めておける少し離れた郊外で待機してもらっていました。

時間が18時半になり、もう今日はダメだと判断した私は日当と明日ホテルにくるためのガソリン代を渡すため彼にホテルに来るよう伝えました。しかしいつもは10分程度で到着の連絡があるのにその日は30分以上経っても現れません。

事故でもあったのかと心配になり電話をかけると「すいません、なんか凄い大渋滞で全く車が進まないんです。急いだ方が良いなら、車はどこかに停めてバイクタクシーで向かいます!」と、周囲で鳴り響くクラクションに負けないよう焦った声を張り上げていました。

後はご飯を食べて寝るだけだった私は「特に用事があるわけでもないから、こちらは何時でも良いから、あなたに便利な方を選んでもらって良いよ」と伝え、彼は車でホテルに来ることを選びました。

彼 がホテルに到着したのは19時45分。 もし今日ジェネラルに会うことになっていた場合、連絡から到着まで1時間以上かかってしまっては待機してもらっている意味がないので、「すいません、遅く なって。まったく車が動かない大渋滞で――」と謝罪する彼の言葉を遮り、「どこにいたの?こんなに時間がかかるといざというときに困るから、もう少し待機 場所を考えて」とちょっと強い口調で伝えました。
そして20時前、日当とガソリン代を渡し翌日9時にホテルに来るよう指示し別れたのです。

しかし翌朝、9時どころか10時になっても彼は現れず、しかも何度電話をしても携帯電話が繋がりません。

「遅刻は仕方ないけど電話をずっと切っているなんて。残念だけど、彼もよくいるドライバーと同じだったのかな……」と失望した私は、彼の到着をあきらめ、タクシーでジェネラルの元に向かいました。

ジェネラルとスムーズに会え、さらにソマリア行きの許可も降り気分が良くなった私は「まあ、一回くらいは許してあげよう」と、14時頃、ちょっと遅いランチを取りながら「午後からで良いから来て」と伝えるため、再度彼の携帯に電話をしました。 が、依然「この電話は圏外にあるか電源が入っていません」というアナウンス。

「なにやってるんだろ?何か急に他の仕事でも入ったのか、それとも携帯を無くしたのかな?」
ふと気になり、何か知ってるはずだと思いスティーブンに電話をしました。 そしてそこで初めて、彼が前夜の帰り道自動車強盗に遭い、生死の境を彷徨っていることを知ったのです。

「多分彼はもうダメだと思う。深夜2時頃、路上に倒れてる彼を警察が発見し、病院に運び込んだそうなんだ。襲われたのは昨夜21時頃らし く、どうやら強盗を車に乗せてしまい走行中に大きな石で殴られたらしい。車は近くの路肩に突っ込んだ状態で発見されたんだけど、フロントガラスは割れフロ ントグリルもボロボロ。だから強盗も車を持って行くのはあきらめたみたいだ。ただ、彼が持っていた現金や携帯など金目の物は全て奪われてたよ。そして運転 席と後部座席に彼のものと思われる大量の血溜まりが……。意識もないし医者も多分ダメだといってる」そう話すスティーブンの声は今まで聞いたことがないほ ど重く沈んでいました。

驚くと同時にまず最初に私が考えたのは「なんで車強盗の危険性が高いことが分かり切っている夜のエンテベロードで彼は車を止めたのか?」ということでした。

その行為は自殺行為であると、外国人の私でさえ知っています。地元民の彼にとって、そんなことは常識過ぎる常識のはず……。しかも知らない人間を車にのせるなんて、絶対にあり得ない。

「なぜ?なぜ?」頭の中で疑問ばかりが押し寄せてきました。

「私にもなぜ彼が夜のエンテベロードで車を止め、知らない人間を乗せたのか分からないんだ。ただ同じ日に数件同様の事件が起きて被害者が出ているから、組織的な犯行みたいだよ」。
スティーブンを始め警察も犯人にまったく目星はついておらず、今もすべては謎のままです。

残念ながらウガンダだけでなくアフリカの大半の国では、日本や他の先進国のように一般の人々が十分な緊急治療を受けることは、ほぼ不可能です。 彼の場合も同様で、病院に運び込まれた時に診察した医師は、意識のない状態に加え陥没した頭部の傷口と大量の出血などから「もう助からない」と判断し最低限の処置をしただけだったようです。

しかし不幸中の幸いで、他の被害者がバールで殴られていたのに対し彼は大きな石で殴られただけだったため、なんとか翌々日には持ち直し危険な状態を脱しました。

ところが今週になり、彼が頭部の異常を訴えたためCTスキャンを撮っ たところ、初期治療が不十分だったため、手術をして問題を取り除かないと四肢に後遺症が残ったり、最悪の場合は容態が急変する可能性があるということが判明してしまいました。

保険制度が浸透していないウガンダでは、その手術に要する費用は平均年収(約460ドル/世銀 2009)の数年分にもなり、とても彼の家族が負担できる金額ではありません。 しかし、日本人の私にとっては、気軽に出せる金額ではないものの、絶対に不可能な金額ではなく……。

この数日間色々と考えた結果、詳細な情報を医師に確認した後、彼の手術代を負担することにしました。

と、この結論にまっすぐ辿り着いたなら自分的には救われたのですが、数日悩み、さらに決めた今もまだ心がモヤモヤしています。

一年に一度しか来られない取材で身動きが取れなくなり、さらに16年間毎年続けて来たルワンダ訪問をあきらめる――。

頭では、「一人の人間の人生」と「わずか一度の取材」では、どちらが大切なのかすぐに判断できます。 しかし……。

今回の決断において最大の要素となったのは「私の決断がもう少し早ければ、彼は事件に出くわさなかった可能性が高い」「長時間一緒に過ごし情が沸いていた」「生後間もない赤ちゃんと不安に崩れ落ちそうなご夫人と会った」の3点です。

しかし――、 もし事件に巻き込まれたのが彼ではなく、数度顔を合わせただけの人だったら? もし彼に家族がおらず独り身だったら? もし彼の事故が自分と全く関係ないところで起きていたとしたら? もし最優先で考えている取材をあきらめる必要があったら?

延々と「if」が頭に浮かび、久しぶりに心の奥底にある薄暗い袋小路で、自分の本質と長時間向き合いました。

結局、明確な結論は今も出てませんし、永遠に出会えない可能性が高そうですが、改めて「アフリカ」と関わっていく難しさと、「アフリカ」に来て取材している意味を考えさせられました。

今はとにかく、彼の手術が無事に終わることを心から祈っています。


■地元の新聞に掲載された記事。一枚目の写真が彼
(※傷ついた被害者の方々の写真がそのままの姿で掲載されているので、血が苦手な方はクリックしないでくだい)
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