2009年3月8日日曜日

無事、帰宅

本日午後22時過ぎ、無事に帰宅しました。
今回の取材行は、本当に色々なことがあり、良い経験ができました。
近いうちに、ガランバフォレストでの番外編を含め、総括編をアップしたいと思います。

2009年3月6日金曜日

ガランバ・フォレストの取材を終えて

ヘリに運び込まれる兵士
前線への食料補給が終わったヘリに運び込まれる、死亡したゲリラ

二泊三日の取材を終えて、本日の午後、無事にカンパラに戻ってきました。

ガランバ・フォレストでの取材は、非常に良い経験になり、且つ、いろいろなことを考えさせられる貴重なものになりました。

諸事情により、現地滞在中の私はジャーナリストではなかったので、メインの一眼デジカメは使用できないなど、いくつか制約はあったのですが、「前線 へ食糧配給を行う部隊への同行」や「救出直後の子ども兵士の撮影・インタビュー」など、現在のLRA(神の抵抗軍)と子ども兵士がおかれている環境を知る ことができる、非常に希有な取材をさせてもらえました。

もちろん全てを見せてくれていないのは重々承知の上で、一歩間違えると国際問題にまで発展しかねないリスクを負いながら、私のわがままを聞いてくれた関係者の方々に本当に感謝します。

今回の貴重な取材は、何らかの形で発表したいと思うので、詳細が決まりましたら改めてHPにて報告したいと思います。(実は発表方法にも、制約があ るんです。なぜならある関係者によると、ウガンダ・DRコンゴ・スーダンの三国合同作戦が開始された昨年12月以降、現地にジャーナリストを入れることは 禁止されているとのこと)

さて、いよいよ一ヶ月にわたる取材を終えて帰国を残すのみとなりました。というより、本来ならすでに今日、件のカタールエアで日本に向かっていなければならないのですが、残念ながら昨日ガランバ・フォレストに迎えの飛行機がこなかったため、まだウガンダにいます。

幸い明日ウガンダから出るエミレーツの席が空いていたため、非常に痛い出費ですが、新たに今日チケットを買いましたので、緊急着陸などしない限り、日曜日には帰国出来る予定です。

LRAのカーネル
関係筋によると、LRAの武器・弾薬は底をつき、戦闘を継続できなくなるのも時間の問題だという。その言葉を裏付けるように、私が現地に到着した日、前日の戦闘で負傷したLRA・第五の地位にあったカーネルが捕虜となり搬送されてきた。

救出された、子ども
私が現地滞在中の間だけで、ウガンダ・スーダン・コンゴ民主共和国・中央アフリカから誘拐された子ども達が4人救出された。その中で銃を手にしていた子どももいたが、その銃はボロボロで弾倉はカラだった。

押収されたLRAが使用していた備品や書類
押収された備品の中には、日本製のPCやプリンター、録音機などもあった。
我々日本人が知らないところで、間接的に日本も多くの紛争に関与している。

蛇の死骸
私が今回の取材で最も悩んだのは、ガランバにはブラックマンバと 呼ばれる非常に危険な蛇がいることだった。(ちなみに幼少時に体験した出来事により、私は蛇がこの世で一番嫌いで怖いんです…)。事実、昨夜一人の兵士が 噛まれ、危うく命を落としかけた。写真の蛇(中央の青い物)はブラックマンバではないが、小さいながらも猛毒を持っているという。誘拐された子ども達が生 きている環境は想像を絶するほど過酷だ。

どこまでも広がる、広大なガランバ・フォレスト
ヘリで上空から見ても、ガランバ・フォレストはどこまでも続いていた。
この鬱蒼たる森の中、誘拐された子ども達は着の身着のままで、延々とLRAに連れ回され、暴力と飢えに今も苦しんでいる。

2009年3月3日火曜日

念願のガランバ・フォレストへ




大きな地図で見る 昨日・一昨日と、ホテルでひたすら電話とにらめっこをして過ごしました。

が、残念ながら一向に連絡がこず、イヤな予感がして本日の朝、ジェネラルに電話をしてみたところ、「あぁ、そういえばそんな話が…」というリアクション。(滅茶苦茶忙しそうなので、私のことなど忘れて当然なのですが) 「今年の流れは止まらないのか…」と、一瞬がっくりと肩を落としたのですが、「ちょっと待ってて。すぐに折り返すから(とても紳士な言葉遣いな方で、私の中で日本語に訳すとこんなイメージ)」と、ちょっと希望を持てる回答が。
そして数分後。着信音がし、液晶にはジェネラルの名前が!

「いまからすぐに私のオフィスにこれるかい?」
「もちろんです!!」
「じゃあ急いできておくれ。軍司令部まで案内する者をつけるから」

押っ取り刀でジェネラルのオフィスに向かうと、「軍司令部には話を通しておいたから、詳細は向こうで詰めてきて」とのありがたい言葉。

感謝の言葉を述べつつ、その足で軍司令部に。
軍司令部で待つこと2時間半。(電話を待ち続けた昨日・一昨日と比べると、あっという間でした)

司令部で一番偉いジェネラルの部屋に案内され、取材の意図や私のいままでのウガンダにおける取材を拙い英語で懸命に伝えたところ、「ジェネラル(私を紹介してくれた人)も、無茶を言うよな~」と言いつつも、同行を許可してくれました。
(本当は軍的に様々な問題があり、それをちょっとした方法でクリアすることになったのですが、若干微妙な話なのでここには書けないんです)

というわけで、何とか今回の目的である、ガランバ・フォレストに現在いるといわれている、LRAの取材に明日の朝から行けることになりました。

今回ウガンダ北部を取材していて感じたのですが、LRA(神の抵抗軍)が過去20年以上にわたりしてきたことは、多くのものを破壊し、今なお人々を苦しめ続けています。

・なぜ、LRAはこのような紛争を続けているのか?
・誘拐された子どもたちが、いま懸命に生きている場所はどのようなところなのか?
・前線で誘拐された子ども達を含めたLRAを相手に戦う政府軍兵士たちは、何を考えているのか?

ウガンダの子ども兵士を取材しはじめて9年目を迎え、より深くこの紛争の原因や現状を知り、そして兵士として戦う(戦わされた)子ども達が見た物や体験したことを、ほんの少しでも感じて来たいと思います。