2009年2月28日土曜日

ジェネラルからの電話と残された時間

ウガンダを横切るナイル川
ナイル川にかかるカルマ橋からの眺め。以前はLRAによる襲撃が予想されるため、18時以降の往来が禁止されていたが、現在は24時間通行可能になった。(本文とは関係ありません)

本日の昼。未登録番号からの電話。
「まさか?!」と思いながら出ると相手は、ジェネラルご本人。

緊張しながら、「ガランバ森林で行われている『ライトトニング・サンダー作戦』にウガンダ軍と同行したい」旨を伝えると「OK。アレンジするよ」とのこと。

これは行ける可能性がグッと高まってきたような気がします。
が、問題は時間…。

果たして、間に合うのか!?
今度は時間との戦いになってきました…。

2009年2月26日木曜日

ジェ、ジェネラル!?

リクルート中のウガンダ軍兵士と志望者
入隊試験に場違いなTシャツの志願者(本文とは関係ありません)

やはり、切り札の力は凄かった。

なんと相当な権力を持つ方の兄弟で、過去大臣も務めたことのあるジェネラル(将軍)を紹介してくれました。

ただ相手はジェネラル。

そう簡単に会えるわけもなく、現在先方からの面会時間指定待ちです。
切り札の方は結構仲が良いらしく、丁度昨夜も一緒に夕食を過ごしたとのこと。わざわざジェネラルに直接電話をかけてくれたので会えることは間違いなさそうなのですが、いつ会えるかにより、残り時間との戦いになりそうです。

とりあえず本日はもう電話がこなさそうなので、明日来ることを待ちつつ、何があっても良いように軍広報責任者に言われたとおり、作戦地域となっているコンゴ民主共和国のビザだけは明日のうちにとっておこうと思います。

起死回生となるのか、やはりこの流れには勝てないのか、こうご期待!

2009年2月25日水曜日

不運な流れの悲しみと、時の流れの喜びと

突然とスコールと雷雨
突然とスコールと雷雨(手持ちで1分のバルブ撮影なので、ブレブレです)

本日首都カンパラに戻ってきました。
それにしても、今年は本当に凄いです。何がって残念ながらタイトル通り「不運」がですが…。

現地で会った日本人の方々には、毎回ネタとして自慢げに語ってしまっているのですが、緊急着陸で始まった今回の流れはグル滞在中も変わることなく続きました。

以下、道中での車両故障で始まったグル編です。

1.みんなでビールを頼んだら私のビンだけ口が割れていた。(一度口に含むも違和感を覚え、吐き出しセーフ)

2.奴隷貿易が行われていた史跡を訪問中、ハエが突然私の鼻の穴に突入。(幸い人生二度目の体験だったので、慎重に排除)

3.車の故障続く(パーツを一つ、バッテリーの交換)
これだけなら、まだ全然問題ないのですが、昨日(24日)は心の方も打撃を受けました。

4.取材の調整をしてくれていた現地新聞記者に6時間待ちぼうけを食わされたあげく、最後は音信不通。一日何も出来ず。(ストーカーのように頻繁に電話したのですが、いかんせん携帯の電源を切られていたためお手上げ)

5.ここまでの流れからイヤな予感がし、先手を打つために軍広報担当責任者に電話をし、北部地域広報担当大尉に口添えをしてもらうも、夢やぶれる。
(責任者曰く、「こちらはOKだけど、作戦遂行地域がDRコンゴ内であるため、同国政府の許可が絶対に必要)

6.失意の中、ウガンダ人の友人に招待された夕食の席で、乾杯をした瞬間、突然の大雨と雷雨に襲われ緊急避難。
(当初は屋外での席だったはずなのに、招待されていた他10名ほどの方々ご迷惑をおかけしました)

「踏んだり蹴ったり」、「泣きっ面に蜂」、「一度あることは二度ある」等々
先人達の言葉が心に染みます。

と、泣き言ばかり言っていても始まらないので、明日、可能性は低いですが最後の切り札に賭けるため首都カンパラに戻ってきました。
そしてその可能性も潰えた場合、今回のグルでの成果は成長したニコラス(下記)に出会えたことだけだったので、再度グルに戻り悪あがきをする予定です。

成長したニコラス
1年数ヶ月ぶりに再会したニコラス。
3年前、LRA(神の抵抗軍)に誘拐された経験を持つ子どもたちへのインタビューで出会って以来、ルワンダの戦災孤児・コロンベ同様、勝手に息子だと思っている。


友人とニコラス
現在13歳になったニコラスは、寄宿舎生活を送りながら友人達とP6(日本では小学6年生)で学んでいる。ルワンダのコロンベ同様、ほぼ私と変わらないくらいまで伸びた彼の成長を見て、改めて時の流れを感じさせられた。

2009年2月23日月曜日

可能性が少し

入隊希望者を前に演説をするグル県長

グルに到着して早三日。グル内部の取材に関しては、軍関係者との交渉はうまく運び、本日はウガンダ国軍入隊試験を取材させてもらいました。

まあ外国人ジャーナリストに取材を許可するだけあって、本日の入隊試験は非常に公正で厳しく、とても常識的なものでした。(これが全てではないと思いますが)

また現在ウガンダ北部地域広報担当大尉は、以前に何度か会ったことがある人だったため、色々と情報をもらい、今回の最大目的地であるLRAが潜伏しているガランバ森林に行ける可能性が出てきました。

後は明後日、首都カンパラに戻ってから軍本部との交渉次第です。

2009年2月21日土曜日

転職しよっかな

ジャーナリストと名乗りながら、何もジャーナリストらしいことを伝えていない今回の取材記。

旅行ライターという職業だったら、結構面白いんではないかと思う今日この頃です。(ただの愚痴のような気もしますが)

まだまだ私の好調は続いていました。
以下、疲れたので簡単に報告。

故障しボンネットを開けて止まった車
午後12時に首都カンパラを出発し、100キロほど走った頃、ボンネットから微かに漏れる煙と、速度計の下でオレンジに光る警告灯が目に入った。イヤな予感がした。

ラジエータから煙が…
ボンネットを開けると、ラジエータからエンジンへと繋がるパイプから煙がモクモクと…。運転手曰く、「5年間ドライバーをしているけど、こんな故障をしたのは初めてだ」
(私も初めてです)

続々と集まってきた通りすがりの人々
運良く小さな村の中だったので、通りすがりの人たちが続々と集まり、ああでもない、こうでもない、と議論を戦わせ修理を手伝ってくれる。

とりあえず無理矢理ビニールテープで修理
電源コードが断線した時のためにダイソーで出発前に買ったビニールテープをぐるぐる巻きにして挑戦。玉砕。

何度も失敗し、気がつけば時刻は夕方に
その後も古いホースや似たような形のパイプで試みるも、エンジンの回転数が上がった瞬間に猛烈な勢いで水が噴き出す。そして気がつけば時間は夕刻に…

さらに時間は経ち、夜に
さらに挑戦と失敗を繰り返し、気がつけば時間は夜に…。

替えの車が到着し、やっと出発
午後9時過ぎ、やっと替えの車が到着。うれしくて写真を撮るのを忘れる。

今度は替えの車のバッテリーが故障
心に余裕が出てきたので、「夜間ドライブで疲れるだろう」とドライバーに休憩してもらおうと考えたのが裏目に。出発使用とするとまたボンネットの隙間から煙が…。トライバー曰く「こんなことは初めてだし、なんでこんなところが故障するのか分からない」
(たぶん、私が悪いんだと思います。ごめんなさい)

幸い、替えの車はイグニッションとバッテリーをつなぐコードが溶けただけだったので、押しがけで無理矢理エンジンをスタートし、カンパラ出発から約12時間を経て深夜0時半頃ホテルに到着しました。
(通常は4時間ほどで着く道のり)
現在こちらは深夜2時。さすがに疲れたので、そろそろ寝ます。

2009年2月20日金曜日

とりあえず一度、ウガンダ北部へ

カンパラにあるゴルフコースホテル
ちょっと高級なホテルのカフェ。

今日は早起きです。
なぜなら本日、北部に移動するからです。

一年半という時間は思ったよりも長く、キーパーソンとなる予定だった人たちが異動していたり、数日前に内閣改造などがあったりして、このまま首都・ カンパラにいても状況に変化かない可能性が高いので、とりあえず一度、当初の予定通りの日程でウガンダ北部に行くことにしました。

到着後は、ウガンダ軍北部地域広報責任者や現地新聞記者などに会い、随時調整を進めていく予定です。

話によると北部のホテルでも無線LANが設置されているところがあるとのこと。
今までは毎回ネットカフェに足を運んでいたのですが、停電などで使用できないことも多々あったため、今回は念のためウガンダで最も新しいデータカードも新たに購入したので、現地から問題なレポートを届けられる予定です。
(ウガンダでも普通に使えるという話で買ったケニアのデータカードが、実際は非常に繋がりづらかったため)

いよいよ今回の取材も終盤に差し掛かりつつあります。このままだと単なるアフリカ旅行になってしまうので、そろそろプロらしい仕事をしっかりしたいと思います。

2009年2月18日水曜日

ウガンダよ、お前もか!?

アフリカの大地
ルワンダからウガンダへ向かう機上より

16日にルワンダを発ち、同日無事にウガンダに着きました。
しかし、まだトラブルは続き、まずは税関で

「なんでお前はこんなに電源コードをたくさん持っているんだ!」
「だって、機材ごとに充電器やアダプターが違うから仕方ないでしょ?」
「そんなことは知らん。怪しいやつめ、いまオフィサーが来るからここにいろ!」と足止めをくらい。
(幸いオフィサーが少し遠いところにいて面倒だったらしく、そのまま解放)

エンテベ国際空港から首都カンパラに向かう道程
エンテベ国際空港から首都カンパラに向かう道程

「はぁ~、またウガンダでも何かありそう…」
とちょっと凹みながら空港から出て適当にタクシーを拾い、値段交渉を終え車に乗り込もうとしたところ、どうやら私を乗せようとした運転手のやり方が気にく わなかったらしく、別のドライバーが「お前のやり方は違法だ!いま空港警察を呼んでくるから待ってろ!!」と凄い剣幕で怒り出し、警察沙汰に。
(15分ほど揉めたものの、とりあえず今回は痛み分けとなり、最初に交渉したタクシーでホテルへ)

宿泊中のホテルの部屋
カンパラ中心部にある「ホテル RUCH」。若干値切って朝食付きで一泊60ドル。

ここまで色々な出来事が続くいているにもかかわらず、今のところ致命傷がないのは、ひょっとすると逆に無茶苦茶ツイてるのではないかという気がしてきました。

20日にウガンダ北部への移動を予定しており、現在は首都カンパラで取材のための許可取得や根回しに励んでいます。

2009年2月15日日曜日

永遠の12歳、コロンベ

コロンベの笑顔
1年4ヶ月ぶりにあったコロンベは、驚くほど身長が伸びていた。

先週末の土曜日と本日(15日)、我が娘・コロンベ宅を訪問してきました。
コロンベとの出会いは11年前。キガリ(ルワンダの首都)の町中にあったTOFU屋の取材が始まりです。

当時、色々と重すぎるルワンダの過去と現実に打ちのめされていた私は、今後どのようにルワンダの取材を続けていけば良いのか深く悩んでいました。
そんな時、偶然取材することになったTOFU屋で、その女主人に引き取られ育てられていた戦災孤児のコロンベと出会い、その屈託のない笑顔を見た瞬間、「この子の成長を通して、ルワンダという国を見続けていこう」と思いついたのです。

以来11年間、勝手に娘だと思いこみ、毎年彼女に会うのを楽しみにルワンダを訪問しています。
さて、1年4ヶ月ぶりの再会となる昨日は、偶然にもバレンタインデーでした。
前回訪問時は12歳だったコロンベ。

「今年は14歳。日本だともう中学2年生だし、今までみたいに文房具とお菓子のプレゼントというのも、そろそろ卒業かな。しかも今日はバレンタインデーだしなぁ」と散々迷ったあげく、白とオレンジの花柄のワンピースと花を手に彼女の家に向かいました。

(ご存じの方も多いかと思いますが、日本とは違い世界的には男性から女性に花やプレゼントを送るのが一般的です)

コロンべとその家族
家族構成も、聞くたびに変わっている気がします…。

「!!!!」
本当に驚きました。

わずか1年少しでここまで成長するのかというほどコロンベの身長は伸び、私とほぼ同じくらいになっていたのです。
「????????」
そしてさらに驚きました。

彼女を育てている家族に年齢を確認したところ、「コロンベは、今年で12歳」だというのです。
「いやいや、前回訪問した2007年も12歳って言ってたよ。さらにその前(2006年)も12歳。その前(2005年)なんて8歳だったし…」
と問いただすと、「あっ、じゃあ13歳かな」と何ともアバウトすぎる答え。

詳しく説明を求めたところ、「学年=年齢」として考えていたようです。
アフリカではよくあることなのですが、他者の家に引き取られ育てられる子どもには、お手伝いさんのような役割が与えます。
そのため学校にしても、経済的に余裕がなくなると当然実の子どもを優先させるため、コロンベのような立場の子は度々休業させられます。

案の定、コロンベの学年を確認したところ、前回会った時と同様今回も「P6(日本でいうところの小学校6年生)」でした。

コロンベとガボ
トップページ右下にある写真が7年前。コロンベとガボの身長差が…。ちなみにガボは11歳とのこと。

と、ここで勘違いしないで頂きたいのですが、コロンベは決して虐げられているわけでも、不幸なわけでもありません。

彼女を育てている家族とコロンベの関係は非常に良好で、撮影していても一家族として全く違和感なくお互いに楽しそうに接していました。

日本的な感覚で考えると、お手伝いさんのように扱われ学校も度々休業しなければならないコロンベは不憫に思えるかもしれませんが、彼女の今の状況は写真を見て頂ければ一目瞭然だと思います。

(私はとても安心しました)
次回会えるのがいつになるか分かりませんし、次は何歳になっているのか想像できませんが、いつまでも変わらないこの笑顔を、またカメラに納めに来たいと思います。
(でも次に会うときは、確実に私より背が高くなってそう…)



過去のコロンベ(asahi.com 千の丘と共に~ルワンダ〈下〉へ

2009年2月13日金曜日

雨のためゴリラ中止

ゴリラトレッキングのパンフレット
ゴリラトレッキングのパンフレット

一昨日、ルワンダに無事着きました。
が、空港到着早々強烈なスコールに歓迎され、昨日・本日とも定期的に雷を伴う雨に見舞われています。

そのため、当初はマウンテンゴリラの撮影を予定していたのですが、ここ最近のツキのなさを考え、今回は見送ることにしました。

実はマウンテンゴリラの撮影は、結構ギャンブル的な要素が強いのです。
ゴリラトレッキングをする際には、「ゴリラの前で食べ物を食べてはならない」とか、「写真を撮るときフラッシュを使ってはならない」とか、いくつかルールがあります。
そしてその中にある「7メートル以内に近寄ってはならない」というルールが、ゴリラの撮影を非常に難しいものにしているのです。

写真が好きな方はよく分かると思いますが、撮影をする時に「被写体が動かず、さらに撮影位置も固定」という制約があると、レンズを望遠と広角に切り替える位しか構図に変化をつける方法がありません。

まさしくその条件の下、行わなければならないマウンテンゴリラの撮影。
さらに7メートルという距離の制約があるため広角レンズはほぼ使えず、晴れている時でさえゴリラが活発に動いてくれず昼寝をしたりすると、常に同じ構図の写真しか撮れません。

今日の雨模様
今日も雨が…

ましてや雨が降るとゴリラは木の下で雨宿りをしてしまいます。
そうなると完全にお手上げで、雨中の撮影が過去に二度ほどあったのですが、一度は一度もシャッターを切ることなく帰った苦い思い出があります。

そして雨が降った場合に最も危険なのは、「移動中に確実に転ぶこと」です。
マウンテンゴリラはその名の通り山に住んでいます。

そのためゴリラに会うためには、結構急な坂道を登ったり降りたりしなければならないのですが、雨が降るとその道が結構滑るんです(ちなみに過去の経験では、雨が降った場合、100%転んでいます)

今回、今の天候不順と自分のアンラッキーさを考えると、最悪のケースとして「500ドル払って、雨のためゴリラは撮影できず、さらに帰り道で転んでカメラが水没…」という悲しいシナリオが想定されます。
(知っている人は知っていると思いますが、私にツキがないときの凄さは神懸かり的です。あっ、この場合は悪魔か…)

メインの取材を前にカメラが壊れては話になりません。
というわけで、来年から1000ドルに上がるため、より取材が難しくなるのは分かってはいるのですが、今回は見送ることにしました。

ん~、今回の取材は勝負どころが難しそうです。

<追記>
明日、戦災孤児のコロンベ宅を訪問してきます。
(一方的に自分の娘だと思っているので、どれくらい成長したか、本当に楽しみです!!)

2009年2月11日水曜日

ルワンダへ

090211_03.jpg
10時半にはチェックアウトしなければならないため、現在はホテルのテラスで作業中。

本日の夕刻、ケニアからルワンダに移動します。
色々貴重な経験が出来たのは良かったのですが、日程的には予定の3日遅れです。

今回、メインの取材として出発前に考えていたのは、長年続けているウガンダの子ども兵士問題関連として、現在コンゴ民主共和国内にいるLRA(神の抵抗軍)か、ここ最近「海賊問題」でたまに耳にするソマリアの首都モガディシュを6年ぶりに訪問するか、のどちらかでした。

090211_02.jpg
最近はケニアでもUSB型でインターネットアクセスできるモバイル用アダプタが販売されている。ナイロビで定宿にしているホテルは、唯一、ネット環境がないことが問題だったので、今回購入した。(約7000円)

ナイロビで情報収集を行い、それにより決定するつもりだったのですが、不運が重なり十分情報を得ることができず、ウガンダに着いてからまだ補える可能性があるLRAの取材をメイン取材にすることにしました。

ご承知の通りソマリアは完全に無法地帯であるため、それなりに核となる情報がない状態で乗り込んでも、リスクばかりが高く十分な取材は出来ないと思われるからです。

LRAの取材も前途は多難ですが、幸いウガンダには政府・軍ともに若干のパイプがあるため、状況によっては実現する可能性があると思います。
(時間的な制約があるので、蓋を開けてみるまでどうなるか分かりませんが)

090211_01.jpg
ケニアの首都ナイロビの町中。平日の日中ということもあり、人と車でごった返している。

ルワンダでは毎年のごとく、1998年から続けている戦災孤児のコロンベの撮影をさせてもらい、来年から金額が1000ドルに跳ね上がるといわれるマウンテンゴリラを撮りにいく予定です。(現在は500ドル。マウンテンゴリラに会えるのはわずか1時間)
というわけで、次回はルワンダからお届けします。

<追記>
実は以前からずっと飛行機は嫌いです。
理論的には理解できるのですが、やっぱり飛行機が空を飛ぶのはおかしいと思うからです。
今からまた飛行機に乗らなければならないのは、本当にイヤです

2009年2月10日火曜日

酸素マスクと超高級ホテル。そして愛しのスーツケース

無事に到着したスーツケース
無事に到着したスーツケース

土曜日の午後、充電器や接続コード・服・おみやげなどが入った大切な大切なスーツケースさんが何とか無事に到着され、早速すべての機器を充電しました。(詰めていた荷物はすべて無事でした)

もっともホテルまで誰かがスーツケースさんを連れてきてくれるわけもなく、空港スタッフに「届いてないから、明日また電話して」と面倒くさそうに言われたにも関わらず、一縷の望みをかけてタクシーを雇い、往復一時間半かけて自分で空港までお迎えに行ったのですが…。
とにもかくにも、カタールエア、毎日ナイロビまで飛んでいて本当に本当に良かったです。

「Rush」の文字が虚しい…
「Rush」の文字が虚しい…

しかしその一方で、大黒柱のスーツケースさんとは合流出来たものの、緊急着陸とロストバゲージで失った時間は48時間。

元々の予定では出発した翌日の5日(木)・午後2時頃にはナイロビに到着し、翌金曜日にビザの取得やある程度の情報収集をすませ、必要があれば本日(10 日)を使い、すぐに次の目的地ルワンダに向かう予定でしたが、金曜日の午後3時過ぎの到着だったため、まったく何も予定を消化できないまま1週間が経って しまいそうな気配です。

が、さらにその一方で、初の緊急着陸、中国初訪問、人生で一番豪華なホテル宿泊、初ロストバゲージと、わずか数日でこれだけ刺激的なことに出会えたのは、 なかなか経験できることではないので(講演時にいつも冒頭でするクイズのネタにもなりますし)、今となっては結構ラッキーな気がしています。

さてさて、やっと体勢も整ったので、緊急着陸からドーハの超高級ホテル宿泊までを写真でお伝えします。
(事故の詳細は時事ドットコムでニュースになっていたので、そちらをご覧ください)
<酸素マスクの使い方、知っていますか?>
突然天井から飛び出してきた酸素マスク
飛行機に乗ると離陸前にフライトアテンダントが必ずする、緊急時のデモンストレーション。 それなりの回数飛行機には乗ってきたのですが、正直、今まで真剣に見たことがありませんでした。 左の写真が酸素マスクなのですが、ガコッという鈍い音共にこれが落ちてくると、否が応でも緊張します。一度体験した身として僭越ながらアドバイスさせて頂 くと、「絶対に見るべきです!!」。 むしろ「練習させてくれ」と頼んでも良いかもしれません。 緊急時には、この劇画タッチのイラストでさえ、自分が置かれている状況を強く認識させ、恐怖を覚えます。

<緊急着陸→中国・ウイグル自治区。カシュガル>
突然天井から飛び出してきた酸素マスク
突然天井から飛び出してきた酸素マスク。異様な静けさの中、「タダチニソウチャクシテクダサイ。タダチニソウチャクシテクダサイ」と冷たい機械の声がスピーカーから流れ、機内は一瞬にして緊迫した空気に包まれた。


機内を点検するフライトアテンダント
最初は「機体に深刻なトラブルが発生し、もう飛ぶことが出来ないため、軍用の基地に緊急着陸することになりました。着陸時には衝撃が予想されるので、アナ ウンスがあったら対衝撃姿勢をとってください」と、例の冷たい機械の声で伝えられていたが、結局アナウンスもないまま着陸した。


着陸後、状況説明をする機長
着陸後、「中国当局と乗客の受け入れを交渉中だ」と説明する機長。この時点で乗客は自分が中国のどこに今いるのか、誰も知らなかった。


カシュガルの空港
カシュガルの空港。この時点でも、ここが中国のどこだか分からなかった。 (そして寒かった…)


緊急着陸したカタール航空821便
緊急着陸したカタール航空821便。 着陸するまで何が原因かも分からなかった。


空港からホテルに向かうバス
入国審査が終わったのは、緊急着陸から2時間以上経ってからだった。 そしてこのバスでカシュガルのホテルに向かい、一泊。


<カシュガルからカタール・ドーハへ>
カタール航空821便の代替機
カタール航空821便は飛べないため、ドーハから飛んできた代替機に乗り換える。


カタールの首都、ドーハ
カタールの首都、ドーハに到着。


我が家より数段広い部屋
我が家より数段広い部屋。


立派なデスク
「ここで原稿を書いたら無茶苦茶はかどるかも…」と誤解させる立派なデスク。


豪華すぎるキッチンと食器棚
「だれが使うねん?」と突っ込みたくなる、シングルルームにどう考えても不必要な豪華すぎるキッチンと食器棚。 


2009年2月7日土曜日

とりあえずナイロビには着いたけれど…

昨日、「私の体」は無事に本来最初に訪問する予定の国・ケニアに到着しました。
なぜ「私の体」かというと、充電器や接続ケーブルなどを詰め込んだスーツケースは、まだどこかの空をさまよっているからです。

ほぼすべてを電子機器で固めた私の取材は、電気や充電器がないと、もうそれは悲惨なものです。
電気がない場所に行くこともあるので、それに対する対策はしていたのですが、それらのすべてもスーツケースの中。
もう手も足も出ません。

昨日あたりから機内持ち込みにしていたカメラやPC、携帯電話が次々と力尽きています。
なんとか今日の便で届くことを祈りつつ、今から空港に行ってきます。

2009年2月6日金曜日

緊急着陸

予定通り2月4日の夜、なんとか日本を出発しました。
が、本来ならすでにナイロビに着いているはずなのですが、いま私はカタールの首都ドーハにいます。


なぜなら、一昨日夜、関空からドーハに向かい出発した機体に深刻な故障が発生し、中国の西端に位置するカシュガルという町に緊急着陸したからです。

そして先ほどやっとドーハに着いたのですが、ナイロビ行きの便は明朝までないため、本日はドーハ市内の高級ホテルに宿泊中(もちろん航空会社持ち)です。


詳しくは明日ケニアに着いた後報告しますが、出発早々思わぬ展開で、緊急着陸、ウイグル自治区、ドーハと想定外の体験をしました。
(ラッキーなのかアンラッキーなのかわかりませんが…。)